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8日目:スーペルリーガ2部

わかの観戦日記
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11月11日 
成田-モスクワ-マドリード

11月12日
レガネス 対 ヌマンシア

11月13日
ブラガ 対 ボアビスタ

11月14日
セルタ・ビーゴ 対 アヤックス

11月15日
ビーゴからアベイロへ

11月16日
ベンフィカ 対 モルデ

11月17日
ジルビセンテ 対
ベネレンセス

11月18日
スーペルリーガ2部

11月19日 第一試合
ヘタフェ 対 レバンテ

11月19日第二試合
アトレティコ・マドリード 対
 ビジャレアル
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 11月8日朝、バルセロスからポルトに戻る。ポルトでユーロ2004の試合会場を見学し、フェルゲイラスに向かう。フェルゲイラスはポルトから内陸へ60キロほど離れた場所にある田舎町でポルトを横浜市にたとえるとフェルゲイラスは山北町のあたりにある。「地球の歩き方」にも乗っていない場所で、そもそもどうやって行ったらいいのか頭をかかえてしまう。


 よく分からないけれど内陸なのだから前に乗ったブラガ行きのバスターミナルにいけばいいだろうと見等をつけ、切符売り場のおじさんに「フェルゲイラス?」と聞くとおっさんは「裏口に回れ」とジェスチャーする。言われたとおり行くと何もない。もう一度戻ると、オッサンはあわてて私の腕をつかみ、「こっちだバカ」と言いたげな表情で私を連れて行く。そこはまさに「Felgueiras」と書かれたバスが発車しようとしたところでバスはあわてて停車し私を乗せる。運賃4ユーロ20セント。2時間の旅ある。


 バスは海を離れ、ポルトガルの奥地に進む。高速道路から一般の道路へ、そして県道へ。数キロごとにバス停があり、乗客が乗り降りする。全部地元のオジサン、オバサンばかりで観光客は皆無である。もちろん日本人などいない。天気もよく、リクライニングシートを傾けるととたんに眠くなってきた。バスはいつのときからか、山間の中腹部を走っている。石畳に対向一車線の細い道路。周りは全部ブドウ畑である。日本に帰ってから知ったのだがフェルゲイラスはポルトガル有数のワインの産地でWTOの原産地呼称条約に登録されている。ブドウ畑の中をローカルバスでポコポコ走っていると、サッカーを見に行くのだと言う気がしなくなる。


 山間をしばらく走ると町に出る。どの町の入口にもスタジアムがバン!と目立つように立っている。スタジアムが町のランドマークになっている。行き先表示板にはサッカーボールの絵と「Estadio→1.0km」というような表示がなされていて、この国の第一のスポーツはサッカーなんだなと思わせる。ポルトガルだけではない。ドイツでもオランダでもイギリスでもヨーロッパの町のインフラはまずスタジアムと芝のコートありきだ。ああ本当に横浜FCにこの町の芝を・・以下略。


 いいかげん景色に飽きた頃、バスはターミナルに入り全員を下ろした。ターミナルは無人でここがフェルゲイラスらしい。みんな一目散に散っていきターミナルには私とバスの運転手だけになった。私は「オラリオ(時刻表)、ブス(BUS)、ポルト」と言ってこの路線の時刻表を手に入れた。なんとフェルゲイラス行きはこのバスが終バス、ポルト行きは1時間半後が終バスである。現在の時刻は午後2時。3時半に始まる試合を見たらもう間に合わない。帰りのバスが無ければ当然帰れない。無謀な話であるが・・・私は今夜、「リスボン発」の夜行列車でマドリードに戻り、明日の深夜便で日本に帰る予定である。こんなポルトの北の果ての田舎町にとどまるわけにはいかないのである。


私は一計を案じた。バスターミナルから市街地を目指す。この街の地図がないのでどうやって行けばいいのかわからないが、街の構造なんて全世界中大体同じようなもので雰囲気でわかる。えっちらおっちら歩いていくと、流しのタクシーが通過する。これをすかさず捕まえる。これがポイント。私はタクシーの運転手に「エスタディオ」と言った。運転手は「ここからすぐそばだよ」と言う。私は「それでもいい、行ってくれ」と頼む。運転手は不思議そうな顔をするが車を走らせてくれた。


 スタジアムは本当にすぐそばだった。距離にして500メートルくらい。たしかに良心的なタクシーならすぐそばだよと言う。私は料金3ユーロを支払い、交渉を開始した。ポケットからメモ帳を取り出し文字を書き込む。 「Estadio 17:30 →Trofa 19:00 ?Euro」と。


 つまりスタジアムを17:30に出て、トロファという町に19:00に着きたい。タクシーで行くと料金はいくらか?と交渉しようとしているわけだ。トロファはポルトの北10キロほどにある街で鉄道が通っている。このトロファ駅を19:15に発車するポルト行きの各駅停車の列車があり、これがリスボン行きの急行列車に接続する。これを逃すと日本には帰れない。


 まさにデッドラインそのもので、そんな思いをしてまでポルトガル2部リーグを見たいのかと言えばもちろん見たい。私の思考回路はそこで停止しているので仕方がない。運転手は少し驚いたが喜んで交渉に乗ってくれた。メモ帳に提示した料金は20ユーロ。ここからトロファまでは30キロほどなので20ユーロ(約2500円)はかなり安いといえる。こういう場合、やろうと思えばさらに値引き交渉はできる。しかし私はこの値段を二重線で消して30ユーロと書き込んだ。10ユーロ加算。運転手は大いに喜び、必ず17時30分にこのスタジアムに来ることを約束してくれた。


 なぜ20ユーロの提示を30ユーロとしたのか。それは運転手に迎えの時刻を必ず守らせるためである。一般にポルトガル人は時間を守るという意識が薄い。だから提示価格にプレミアをつけて、おいしい仕事であることを意識させる必要があった。デッドラインに対するリスク回避としてならば10ユーロくらい惜しくはない。


 キックオフまで間があるので隣のスーパーマーケットで買い物をする。下着を買ったりシャツをかったり忙しい。キックオフ少し前にチケットを買い中に入る。エスタディオ・ドクトル・マハド・マトスは色あせたサッカー専用スタジアムで、ピンクの座席が哀愁を催す。観客は予想していたよりは多くいた。ほとんどが50代以上のオジサンなのだが、彼らの私に対する目つきが厳しい。あからさまな敵意を感じる。こんな田舎の2部チームになんの用があるのだ、といいたげな目で私を見る。こういうことは田舎に来るとよくある。日本でもそうだが一般に田舎モンは余所者にたいして排他的な態度をとる。観光地でお金を落とす分にはウェルカムだが日常のコミュニティに入ってくるのは許さない、という雰囲気を感じる。私の後から入ってきた観客は、私の前後左右を何座席も空けて座り、私の周りだけ異様な空間が広がる。



 前回と同じく試合前のイベントなどはない。サポーターグループというのもいない。日本でラグビーを見ているような、そんな雰囲気である。すると突然アナウンスがあって最初にアウェイのオバレンセが出てくる。次にホームのフェルゲイラス。いわゆる選手入場というのはなく、ババッと出てくるような感じ。日本だってJSL時代はこうだったと思う。入場行進なんてできたのはJリーグが始まってからであろう。


 試合が始まる。レベルはあまり高くない。ロングボールが中心で1トップのフォワードが頭で合わせる、ピンポンサッカーでまあしょうがないか。選手はみんな若い。こんなガラガラのスタジアムは選手にとってつらいと思うけれど、現在世界中で活躍しているポルトガル代表の選手達はみんなこういうクラブで育ったのだ。イタリアのラツゥオにいるセルジオ・コンセイソンもこのフェルゲイラスからFCポルトに、そしてラツゥオに行った。この2部で芽が出ないようなら選手としての資格はない。そういう環境は作られていると思う。




 試合を見ていると主審があまりファールを取らないのに気づく。ショートパスをつないでゲームを進めるという試合ではないのでフィジカルコンタクトでイチイチファールをとっていたら試合が成り立たなくなってしまうからであろう。そのかわり選手同士は激しくぶつかり合う。といってもショルダーチャージがメインでスライディングタックルというのはない。選手同士もこの辺は暗黙の了解で成り立っているのかもしれない。この辺が日本とポルトガル、ひいてはヨーロッパとの違いで、横浜のマシュー・ブーツが審判にキレるケースが多い理由だと思う。ヨーロッパ基準で笛を吹いたらどうなるか・・もっともFIFAは審判により厳しい基準を求めているそうだから、全世界が日本基準で試合運営をするようになるかも知れない。



 退屈な展開がしばらく続く。観客はオッサンばっかりなので黙ってみている。周りの人とボソボソ話をしながら見るあたりは場慣れしている印象がある。フェルゲイラスは何度目かのアタックをかけてオバレンセゴールを狙う。ゲームは1進1退。前半終了間際、ついに均衡が破れる。オバレンセディフェンダーがクリアミスをし、かっさらったフェルゲイラスが先制点を得る。全員大喜び。考えてみれば・・私にとってポルトガルリーグ観戦3試合目にしてはじめての得点である。いやあ何をやっていたのだか。これでゲーム展開がスムーズになる。ハーフタイムを得て、フェルゲイラスはなおも攻め続け、3-1でゲームを制した。


 選手は例によってロクに挨拶もせず引き上げる。選手紹介をしない点もそうだが、私はこの辺がよくわからない。プロサッカーはサービス業の中でも一番観客のために尽くさなければならない業種のはずだ。それをお互い許す環境がポルトガルにはあるのかと思う。こんなガラガラのスタンドにそれがあるようには見えないけれど。試合が終わり、私はすばやくタクシーが待っている場所に移動する。件のタクシーはちゃんと待っていてくれた。お互い無事会えたことを喜ぶ。運転手は私を助手席に乗せ、走り出した。


 「フェルゲイラスは勝ったよ。いい試合だった」と私が言うと、運転手は「わかっている」と言いたげにカーラジオを指差す。どうも試合はFM放送でやっていたらしく、さかんに「フェルゲイラス」とか「オバレンセ」とか言っている。勝利者インタビューのようだが残念ながら私には理解できない。まあ、いずれにせよ後は30キロを1時間で走って列車に乗るだけである。


 フェルゲイラスは内陸部にあるので海沿いのトロファに出るには山を越えなければならない。夕闇は迫っていて、雨も降り出してきた。タクシーは山を上り始める。こういう山には街路灯などというものはない。周りは闇になった。トロファまで30キロと書いたがそれは直線距離であって、山越えによる実走行距離は何キロになるのかわからない。果たして1時間で着くのか結構微妙になってきた。


 タクシーは石畳の上を走る。さすがはメルセデスベンツのタクシーだけあって、サスペンションがしっかりしていて揺れが少ない。闇夜の中、濡れた石畳をヘッドライトが照らすとキラリと映える。なかなか美しい。こういうシーンは日本ではなかなかない。それはいいのだが、タクシーはとんでもないスピードで飛ばす。ちょっと直線が出ると軽く百キロは出る。山の中腹は曲がりくねっていて、ガードレールの代わりに石の壁がある。その先は崖だ。暗闇の中で車は加速する、目の前に石壁が迫る。突然横Gがかかって景色が横に流れる。私は1100CCの大型バイクに乗っているけれど、この山道をこのスピードで走れるかと言えばとてもできない。私は神と言うものを信じてはいないが、こればかり
は天に祈った。


 峠を越えると眼下にトロファの町明かりが見える。ああよかった。なんとか間に合いそうだ。市街地に出るとタクシーはゆっくりと流して走り、トロファの中心地で私をおろした。走った距離は44キロ。タクシー代30ユーロなら安いものだ。私は5ユーロチップで加え、感謝の礼を言って別れた。さてこれから駅に行かねばならぬ。タクシーの運転手は駅の場所はわからないらしく、誰かに聞いてくれと言う。一般市民に「エスタシオ(駅)?」聞きながら歩くと眼下に線路が見え、駅に着いた。但し、駅はこの道路の反対側で眼下の留置線をまたがなければならない。私のいる道路から線路までの高さは3メートルほど。結構高い。現在の時刻は夜7時。到着まであと15分。


 私は意を決した。まず、落ちているブロックの塊を下に落とす。「ドスン」という音がする。これで下は固い土であることが確認できる。次に荷物を下に落とし、私自身も飛び降りる。30半ばの人間がなんでこんな犯罪のようなことを(いやれっきとした犯罪であるが)しなければならないのかと思うが仕方が無い。幸い足をくじくようなことも無く、トロファのホームに上がり、駅舎に抜ける。駅員はホームからいきなり日本人が現れたので非常にびっくりしたが、見なかったことのように冷静さを装う。私はポルトまでの切符を買うと、程なくして列車は来た。


 ポルトからリスボン行きの急行に乗り換える。このままリスボンまで行くとマドリード行きの夜行列車に間に合わない。途中のエントロンカメントでリスボン発マドリード行きに待ち合わせるのでそこまで乗る。リスボン行きの急行列車は週末を過ごす行楽客で混んでいたが、席は確保した。明日は観戦最終日。2試合見る予定である。第一試合はスペイン2部、ヘタフェ対レバンテの試合を見る予定である。

(翌日に続く→)

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