スタジアムを後にして大通りに出る。運良くアイントホーフェン中央駅行きのバス停を見つけ、待合室で待つ。バスは15分に1本程度でているのでそれほど不便ではない。ほどなくバスが来て無事駅に戻ってこれた。しかし少し困ったことがおきた。
少しけだるい。背筋に寒気が走り、頭がふらふらする。風邪を引いたようだ。帰国の日に風邪を引くことが運が良かったのか悪かったのか判断できないが、かなりまずいことになってきた。電車にのって1時間30分。列車はオランダ第二の都市ロッテルダムに到着した。
到着したのはいいのだが、身体の具合はなおのこと悪くなってきている。常備薬を少し多めに飲み、トイレの中で着替えをして待合室で安静する。デカイプのスタジアムツアーに行きたかったがこの体調ではとても無理だ。
現在、時計は14時。アムステルダム出発は20時15分。出発まで時間は相当あるが、今のうちに空港に行くことにする。すでに荷物を担いでどこかに行く、ということはできないことは充分に自覚していた。
ロッテルダムとスキポール空港との間は電車は頻発している。プラットホームでしばらく待っていくとスキポール行きの2階建て車両が来た。1時間ほど揺られ、空港に着く。チェックインをして空港内のファーストエイドボックスに行った。ドクターに事情を説明し、大きな錠剤を貰う。本当は注射の一本も打ってもらいたかったのだがさすがにそれは無理だった。しかしドクターは招待客用のリクライニングシートを私にあてがってくれた。出発までそこで休めと。私はそこに腰を下ろし、そのまま寝込んだ。
気がつくと19時を過ぎていた。3時間以上寝ていたらしい。眠気もダルさもすっかり取れていた。多分疲れていたのだろう、精神的にもガッカリしたことが多すぎた。その疲れが帰国日に一気にきたのかも知れない。でももうすぐ帰国便が出発する。日本航空の747型機は既にスポットに待機している。私はゲートに急いだ。
日航機は空いていた。乗客は半分くらいだろうか。いろいろ問題を起こして搭乗率が減っているのは知っているが、ここまでガラガラだと少し寂しい。私の3列シートの窓側であるが、隣も通路側もいなかった。離陸して夕食をとったらまた眠くなった。私は3列シートをを独り占めしてまた寝た。
気がつくと飛行機はイルクーツク上空を通過していた。朝日がまぶしい。眼下にシベリアの町が広がる。日本まであと4時間。あまり成功したとはいえない観戦ではあったがそれはそれ。またくれば良い。旅行なんて無事に帰れればすべて成功なのだ。次にヨーロッパにいけるのはいつになるかわからないけれど。
16時。成田着。成田エクスプレスに乗り19時に自宅に着いた。自宅のポストにFIFAクラブチャンピオンシップ事務局から不在通知伝票が入っていた。翌日郵便局で配達記録郵便を受け取り、開封をする。中にはワールドカップのチケット当選通知が入っていた。4ヵ月後、私はまたドイツに行くことになった。カードは日本-ブラジル戦。ちょうど夏至の日である。寒波による試合中止の恨みは晴らせるのかそれはわからない。しかし私は行ってみようと思う。歓喜の一夜を過ごせることを願いながら。
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