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第1節 アレマ・マラン 対 川崎フロンターレ


(マラン:インドネシア)

第4日:クディリへ

ACL参戦記
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第1節 アレマ・マラン-川崎フロンターレ
第1日:成田-スラバヤ
第2日:マランへ(その1)
第2日:マランへ(その2)
第3日:決戦の日
第3日:アレママラン対川崎フロンターレ
第4日:クディリへ
第4日:ブラヴィジャヤスタディオン
最終日:さようならインドネシア

第2節 川崎フロンターレ-バンコク・ユニバーシティ

第3節 全南ドラゴンズ-川崎フロンターレ

第4節 川崎フロンターレ-全南ドラゴンズ

第5節 川崎フロンターレ-アレマ・マラン

第6節 バンコク・ユニバーシティ-川崎フロンターレ

準々決勝 セパハン-川崎フロンターレ

準々決勝 川崎フロンターレ-セパハン

ACL総括

 アレマ戦から一夜明けた8日、昨日の試合結果を確認しようと新聞を買い求めてみるとガルーダ航空の着陸失敗事故が一面で大きく報じられていた。インドネシア語はさっぱりわからないのが、地名や便名を追ってみるとジョグジャカルタ空港でGA200便が墜落したらしい。

 
 GA200という便と聞いてぞっとした。今回のインドネシア行きの計画を立てたとき、一番最初に予定を組んだのがこのGA200便なのである。JALのホームページでは2都市周遊行程を予約できる。成田発、ジャカルタ、ジョグジャカルタ訪問後成田に戻るという予定を組むと、ジャカルタ-ジョグジャカルタへの移動はこのGA200便が表示される。私は一度、これで予約している。結局JALのディスカウントマイルキャンペーンに応じたのでこの予定はキャンセルしたし、仮に乗っても一日早い便なので墜落することは亡かったのだが他人事だとは思えなかった。


 ネットカフェで詳細を見ると日本でも結構詳しく報じられている。会社と実家には電話を入れた方が良いと思ったが公衆電話が全くないので断念する。日本もそうだけど海外でも公衆電話は急速になくなりつつある。これからは海外対応の携帯電話を常時持たないとダメかもしれない。


 身支度を調えてチェックアウトをする。今日はクディりに行こうと思う。。J'SGOALの取材班はスラバヤを起点マラン、クディリをそれぞれ往復したようだが、クディリとマランの間はタマを挟んで数十キロ程度の距離でそれほど遠くない。おそらくバスはあるだろうという予測は付いた。フロントにタクシーを呼んでもらいバスターミナルに行く。タクシーは昨日の試合会場であるガジャヤナスタディオンを通り過ぎ、高級住宅地を通っていく。広い前庭のある低層一戸建てでセレブリティの香りがプンプンする。車は皆ベンツかBMWで、この貧富の差は一体何なんだと考えてしまう。


 バスターミナルに着き、チケットカウンターに行くと案の定クディリ行きのバスはあった。
窓口でチケットを買い求める。値段は200ルピア(3円弱)。・・・????


 いくらなんでも安すぎる。私は結構海外には行ったが3円という値段は初めてである。これでクディリに行けるのだろうか・・。カウンターの外に出るとクディリ行きのバスは既に待機していて運転手は早く乗れと指図をする。小さなバスである。最近東京近郊の住宅地でよく見かけるコミュニティバスと同じ位か。中にはいると布製のヘッドレストカバーが掛かっていてなかなか清潔である。乗客は5人くらい。エアコンなんて言うモノは当然のことながら着いてはいない。

 しばらくすると走り出した。バスターミナルを出たところですぐに停車し、ドドっと人が乗り込んでくる。そして車掌が降車地までの切符を改めて売りに来る。クディリまでは4000ルピア(約50円)。そこで私は理解した。さっきの200ルピアは先行搭乗券だったのだ。200ルピアを払うことで早く席を確保できる仕組みになっている。それでも充分に安いけれど。


 バスは発車して高級住宅地を抜けていく。市街地の外に出ると広大な敷地に洒落た建物が現れる。ここはインドネシア屈指の有名大学であるマラン大学で、バスは専用の駐車場に止まる。ここで学生がドドっと乗り、バスはすし詰めとなった。


 昨日のスタジアムもそうだが、インドネシアでは定員とか定数という考えがない。詰めるだけ詰め込むというのが当たり前になっている。私の席の隣は女子学生が座る。イクスキューズミーと言って軽く会釈する。なかなか礼儀正しい。さすが有名大学の学生だけありで綺麗な英語を話す。彼女はケープを被っていないので非イスラム教徒なのだろう。口紅と香水に新鮮さを覚える。


 あまりにも人が乗りすぎたためか、バスは車体が沈み込んでいる。サスペンションに余裕が亡く、ロードノイズがひどい。道は細くなり坂を登っていく。「バツ」という高原都市につくと人がどっと降り、同じくらい人が乗り込んでくる。バス停の前にスタディオンがあり、スポーツクラブのクラブハウスがある。これからクディリに着くまでの間、いくつかの都市を通過したがスタジアムとクラブハウスはどの町にもあった。町は清潔でみなコロニアル風である。
 
 私はインドネシアのサッカーがJリーグよりもずっと熱狂的な理由がわかったような気がした。要はオランダ統治時代の名残なのだ。オランダがインドネシアを占領したのは第一次世界大戦以後から第二次世界大戦中までで、そこの頃には当然サッカーはこの国に伝わっているはずである。オランダ人が自ら愉しむためにインドネシア各地にサッカークラブとスタジアムを作れば占領された人たちにもサッカーは根付くだろう。競技場の名称が「スタディオン」とオランダ・ドイツ風なのは植民地時代の名残り違いない。


 第二次大戦前から総合スポーツクラブができていたインドネシアと、ほんの十数年前まで企業の宣伝媒体でしかなかった日本のサッカーでは文化のレベルは全く違う。インドネシアは1938年(昭和13年)のワールドカップに出場していることに気づいていればこのことはもっと早く理解できた。

 バスはこれから山越えに入る。道はさらに細くなり路面は荒れる。私が乗ったミニバスは定員を遙かにオーバーしておりエンジンがうなりを上げている。エンジンの振動とロードノイズがダブルで尻に響いてくる。


 バスは峠を登る。道路は右に左に蛇行していてバスはそれを忠実になぞる。満員のバスはカーブを曲がるたびに乗客を左右に押しつけていく。そのたびに悲鳴が上がる。社内にエアコンはないので暑さも凄い。社内は阿鼻叫喚の様子を呈してきた。私は右側の窓際に座っている。右にカーブを曲がると隣の女子大生の体が私に密着してくるのは決して悪い気はしないがそれも限度があった。
私は乗り物酔いには強い方である。しかし今日のこのバスはさすがに堪えてきた。サスペンションが殆ど抜けたマイクロバスが右に左に上に下にエンジン音をがなり立てながら進むのである。立っている人たちは車掌から黒いビニール袋をもらう。私もほしくなったがもらうと確実に吐くので我慢する。バスは峠を越え、下り坂に入った。


 山をいくつか抜け市街地に入る。市街地を抜けると肥沃な川を渡る。それを繰り返すと「kudiri」の看板が見えた。時刻は午後2時。約4時間乗っていたことになる。

 車掌が私に向かってどこで降りるか聞いてくる。「スタディオン」と車内が爆笑に包まれる。なんなんだろう。クディリにつくと日本人はスタジアムを目指すのだろうか。私と同じ趣味を持つ人がそんなにいるとは思えないが。

 バスはクディリ市内にはいった。遠くに照明灯が見えてくる。照明灯はサッカー好きのランドマークだと誰かが言っていたが名言だと思う。交差点をいくつか曲がると目の前にスタジアムが見えてきた。ペルシク・クディリのホームスタジアム、ブラヴィジャヤ・スタディオンである。バスはスタジアム前で停車し、私をおろす。降りるのは私だけである。降りた瞬間ものすごいスコールが襲ってきた。目の前に交番が見える。ひとまず交番に逃げ込み雨をやり過ごそうと思う。雨以前に体が参ってきたしトイレにも行きたかった。交番のお巡りさんは快く私を招き入れてくれた。ひげを蓄えた、私が子供の頃よく見たタイプのお巡りさんだった。

 交番の中で雨をやり過ごしていると疲れがどっと押し寄せてきた。
続く
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