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第5節 川崎フロンターレ 対 アレマ・マラン


(川崎:等々力陸上競技場)

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第1節 アレマ・マラン-川崎フロンターレ

第2節 川崎フロンターレ-バンコク・ユニバーシティ

第3節 全南ドラゴンズ-川崎フロンターレ

第4節 川崎フロンターレ-全南ドラゴンズ

第5節 川崎フロンターレ-アレマ・マラン

第6節 バンコク・ユニバーシティ-川崎フロンターレ

準々決勝 セパハン-川崎フロンターレ

準々決勝 川崎フロンターレ-セパハン

ACL総括
 アレマ・マランは12人しか選手を連れてこなかった。前節、点を入れた選手は空港に現れなかったらしい。これを聞いてアレマ・マランはやる気がないと嗤う人もいたが、私は彼らの気持ちがよくわかる。


 一言で言うと、インドネシアでリーグ戦を戦うというのはとんでもなく大変なのだ。国の長さが東西6000キロ(ロンドン-モスクワ間に相当)あり、その大半が島嶼、しかも未開拓、そしてまんべんなくどの島にもチームが存在している。移動は飛行機が基本だけれど近くに空港がない都市は多く、空港から都市まで路面は悪い。そこをバスで移動する。そしてどの競技場も芝は悪い。アレマ・マランはインドネシアのカップ戦を勝ち抜いてACL出場権を勝ちとったが、その決勝戦の相手はパプア・ニューギニアのチームだった。もしかしたらフロンターレはペニスケースを装着したサポーターの前で試合をすることも起こりえたわけで、そう考えると凄いリーグだと思う。


 リーグ戦を戦うだけで精一杯のチームがACLに出てきていいのか、という議論をするのは正しいのかもしれない。レベル的に見ればその通りである。でもマランを埋め尽くしたサポーターを見れば、そういう考えは吹き飛ぶ。あの日、マランのサポーター達は私たちを歓迎してくれた。であれば私たちだって彼らを歓迎する義務があると思う。選手の人数は関係ない。


 競技場には行って驚いたのは、ちゃんとアレマのサポーターがアウェイ席に来ていたことである。在日インドネシア人の可能性もあったが、日焼けした彼らの風体はまさに昨日までインドネシアにいました、というような現地の香りがした。実際の所はどうでもいいが、私はうれしかった。


 等々力は今日もご当地フェアを開催している。私はなんだかなあと、思いつつも500円出してナシゴレンを買って食べる。こういう味だったかなあ・・と微妙な感想を持ったが、あまりつっこまないでおこう。
 
 試合はもう、典型的な消化試合で、お互いに怪我はしたくない、というのが見え見えだった。あのアウェイで見せた、アフリカ系選手のスピードあふれるマランの突破はどこにもみられなかった。それは当然の展開で、誰が誰に文句を言うべきものでもなかった。内容は中村憲剛のワンマンショーと言って良く、私はその展開をただ呆然とみているだけだった。いい意味でも悪い意味でなく、フロンターレが勝っていく「様」をボケーっと眺めていた。


 3-0で試合終了。フロンターレは一試合を残して準々決勝進出を決めた。この瞬間、私の背中に得も言えぬ感慨が満ちてきた。不思議なもので試合前から勝ち抜きは既成事実化していたのに、何をいまさらと思う。でも、今日の「楽勝」はインドネシアや韓国の大一番の勝負を乗り越えてきたからこそ得られた展開な訳で、グループリーグ全体で見れば決して楽勝ではなかった。だからこそ勝ち抜きが決定したことに考えを覚えるのは不思議なことでもなんでもないのかもしれない。Jリーグ全31チームの中で、この思いを感じることができるのは川崎サポーターだけの特権のはずだ。私自身はサポーターなんていうものではないけれど、そういうものだという意識はある。


 電光掲示板にチャンピオンズリーグ勝ち抜けのメッセージが表示される。別に花火が飛ぶわけではない、ごく淡々としたお祝いものだったが、今の川崎にはそれで充分なように感じた。勝ち抜きに苦労はしたけれど、アジアの中でのJリーグのレベルを考えた場合、本来はとっくに勝ち抜いていなければならない試合なのだ。まずは一区切り付けたことにたいしてお祝いをするのはこの程度で充分だと思う。


 勝利者インタビューが終わり、選手はサポーターの前に行く。くす玉が割れたところを見計らって私は競技場を出た。夜空の中を淡々と歩く。私は新丸子の駅前で一杯飲んだ。あと一戦、アウェイのバンコクが残っている。それを見届けて私のグループリーグが終わるのである。
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