わかの観戦日記トップページに戻る |
|
6月22日 決戦の日
|
|
その1:フットボール道場
|
|
|
|
|
午前7時起床。今日は決戦の日である。私が泊まっているボンのホテルは日本人宿客客が他にも何組かいて、当然のことながら皆、今日のブラジル戦に照準を合わせてきている。私が黙々と朝食を食べていると、一人、二人と食堂に降りてきた。お互いに言うべきことは一つである。「今日はがんばりましょう」と。 |
|
部屋に戻り、代表ユニフォームを着て日の丸を背負い出発する。チケットとパスポートをウェストバッグに入れる。これを忘れては何もならないので、ちゃんと入っているかもう一度しっかりと確認する。ボン中央駅は日本人が大勢いた。ハンブルグ行きのRE(急行)は先客が大勢いて席を確保するのも難しい。みんな真剣である。ケルン、デュッセルドルフと列車が停車するたびに日本人とブラジル人が乗り込んできて午前10時30分ドルトムント中央駅着。駅に降りると周りはブラジル人だらけであった。 |
|
彼らを見ると少し緊張が走るが、それは杞憂に終わった。彼らは皆フレンドリーで陽気に手を挙げて挨拶する。「Hello!」「Habe a nice game!!!」すれ違うたびにみんな明るく声をかける。信号待ちの時などは一言、二言会話をして別れ際に握手をする。彼らはブラジル国旗をまとい、私は日の丸を背負う。国のプライドを背負うことなどこの先の人生で何回あるのだろうと少し考える。「国のため」というナショナリズムに浸れるのは幸せなことなのだなと思う。 |
|
試合開始は午後9時であと12時間もあるが、私は先にやることがあった。NPO法人ヨコハマスポーツコミュニケーションズに「フットボール道場」という企画があり、そのヘルパーをすることになっていたのである。 |
|
この企画、いつもは都心でサッカー好きを集めて著名なゲストを呼んでトークショーを行っているのだが、なんと今回は会場をドルトムントに移して行うことになった。しかも日本へはストリーミングでインターネット中継を行うという大がかりなもので、傍目に見て大丈夫かと思っていたのだが、現地スタッフの人手が不足していることもあり、音声録音などを手伝うことになった。 |
|
予想に反して、と言ったら主催者に対して失礼だが、フットボール道場はかなり多くの人が来た。イベントもつつがなく終了した、サポティスタで紹介してもらえたことやゲストが宇都宮徹壱氏と西部謙司氏と言った著名人であったことが大きいと思うが、事前準備もままならず、リハーサルもないなかでやり遂げたことは、充分に満足できるものであったと思う。ドイツの新聞記者も飛び込みで取材に来た。全部で40名程度は来たのだろうか。町中にある小さなカフェは日本人に占拠され、わずかばかりの安堵感をもたらしてくれた。イベントが終わり、片付けをした後、私は一足先にカフェを出た。先にスタジアムを見たかった。 |
|
|
|
スタジアムに行く途中の広場はパブリックビューイングの会場になっていて、既にイベントが始まっている。会場はほとんど満員で、突き抜けるだけでも非常に苦労を伴う。会場に流れるサンバにあわせて日本人とブラジル人が踊る。国籍に関係なく一緒に踊り、一緒に眺める。ワールドカップは本当の祭りなのだなと思う。混雑をかき分けながら駅に行き、地下鉄でスタジアムに移動した。時刻は午後5時。キックオフ4時間前であった。 |
|
地下鉄は大混雑だった。ブラジル人が大声で歌う。「アリガト、ニッポン」「サヨナラ、ニッポン」呉越同舟であるが危険な香りはしない。これが日本人ではなくイングランド人だったらどうなっていたかと思う。 |
|
15分ほどでシュタディオン駅に到着。目の前には今日の会場であるヴェストファーレンシュタディオンがそびえ立っている。満員の電車からはき出されるようにみんな降りる。駅も駅に通じる通路も大混雑で前に進めない。やっとの思いでセキュリティゲート前に着いた。まだ試合開始まで時間はあるけれど、私は早めに入って落ち着きたかった。蟻の行進のようにノロノロ歩く。ゲートの前に来たので私はチケットを取り出すため、ウェストバッグのジッパーを開いた。 |
|
ウェストバッグには何も入っていなかった。チケットもパスポートも入っていなかった。私はどうしてチケットが入っていないのか、自分の身に何が起きたのか、この後どうなるのか、全くわからなくなっていた。少なくとも目の前にあるスタジアムへはもう、ここから一歩も進めないということだけはわかった。そして次の瞬間、すべてを理解した。 |
|
チケット(とパスポート)を盗まれた!!
|
(続く) |