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6月23日 デュッセルドルフ総領事館

わかの観戦日記
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6月21日 まずは軽く鉄道から
その1:ミュングステナー橋
その2:ウッパータールの
モノレール
6月22日 決戦の日
その1:フットボール道場
その2:チケットがない!!
その3:日本-ブラジル戦
6月23日 デュッセルドルフ総領事館
デュッセルドルフ総領事館
6月24日 最後は軽く鉄道で締める
その1:ロマンチック・ライン
その2:カールスルーエのスタジアム
最終回:マインツの歓喜
 昨日のブラジル戦を持って私のワールドカップは終わった。残りの日程は純粋な観光に当てることにした。本来の予定はルクセンブルグに避暑に行き、まったりと過ごすはずだったのだがパスポートを盗まれてしまったので再発行の手続きをしなければ行けない。もっとも再発行は2週間程度の日数が必要なので、私が発給を受けるのは帰国のための渡航書である。これは現在地から日本に帰るまでのルートがあらかじめ書いてあって、これに外れることはできない。ルクセンブルグ程度なら別にパスポートがなくてもかまわないような気がするが、トラブルに巻き込まれたら本当の大騒ぎになるので帰国まではおとなしくドイツ国内にとどまっておこうと思う。
 帰国渡航書の発給手続きは領事館か大使館で行う。幸い私の宿泊しているボンはデュッセルドルフ総領事館に近く、行くのは容易である。こういうところにも不幸中の幸いというのがある。これが同じドイツ国内であっても東側の、それもチェコとの国境ちかくだったりしたら旅の予定がガタガタに崩れてしまう。ホテルに戻ったのは朝の4時近くだったが、状況が状況なので8時過ぎには起きて出発の準備をする。
 デュッセルドルフは過去に何度も来たことがあり、特に迷う場所ではない。地図を見ると日航ホテルの隣にある。いわゆる日本通りと呼ばれる場所で周りは日本料理店が多く、逆の意味で違和感がある。
 呼び鈴を押し、中に入れてもらうとそこには日本人がいっぱいいた。ドイツ在住の人がパスポートの更新にくるようなケースもあるのかもしれないが、大体の人はトラブル絡みなのであろう。みんな沈んだ顔をしている。私は昨日、領事館員に、ここに来る旨の話をしているのでスムーズにことが進んだが、先客の話を聞いているとそれは非常に生々しく、背筋が寒くなった。
 中央駅で客引きにあい、財布・パスポートを含むすべての荷物が盗まれたビジネスマン。パスポートを落としたツアー客。ひったくりにあった人もいる。領事館の窓口は個室になっておらず、一人一人が他の人の前で状況を話さなければならない。それは話す方も聞いている方も非常につらいものだった。
 パスポートを落としたツアー客は老夫婦で、ツアーコンダクターが窓口対応をしていた。こういうトラブルに立ち会うツアコンを見ていると本当に頭が下がる。私がこういうケースに直面していたらおそらく怒鳴りつけていただろう。何度も何度も老夫婦を励まし、安心させるそのツアコンを見るとプロ意識の高さを感じてしまう。置き引きにあったビジネスマンなどは日本の自宅に電話をかけさせてすぐに帰国便の手配をさせている。「航空会社の言い値でかまわないから」とか言うのを聞くと、いくらかかるのだろうと考えてしまう。他にも何人も聞かされた。私など帰りのチケットや財布が無事だったのだから、仮にワールドカップの試合を見ることができなかったとしても、それでもまだマシだったのかなと思う。
 証明書ができるまで2時間程度かかるので、隣の日航ホテルで昼食をとる。私は他人に旅行のノウハウを教えるほど知識も経験もないけれど、一点アドバイスをするならば、「トラブルに遭ったら解決するまで旨いモノを食え、食費をケチるな」といいたい。これは国内旅行も同じである。トラブルに遭ったときに一番必要なのは金でも時間でもなく、落ち着いた気持ちである。取り乱すとすべてが悪循環に向かう。まずは旨いモノを食って気持ちを落ち着かせれば次善の策が出てくる。私はホテルですき焼きを食べ、ビールを飲んだ。証明書の発行まで段取りが着いたので気持ちはかなり楽になった。
 午後4時、帰国のための渡航書を受け取った。現金とカードは盗まれていないので帰国までは何も問題はない。被害がパスポートだけですんだのはかなり幸いだったと言っていいだろう。日はまだ頂上にあり、気温は高い。私はイタリア代表の練習見学をしようと思い、デュイスブルグに向かった。
 デュッセルドルフとデュイスブルグは急行で30分ほどの場所にある。私は4年前にこの町を訪れ、ブンデスリーガ2部のMSVデュイスブルグの試合を観戦している。当時リトバルスキーが率いたMSVのホーム、ウェダウ陸上競技場は取り壊され、新たにサッカー専用スタジアム、MSVアレーナを見たかった。デュイスブルグ中央駅を降り、市バスに乗る。20分も走るとだんだん見覚えのある風景が現れてきて、MSVアレーナに着いた。スタジアムの場所は4年前と同じだが、新築された競技場に当時の面影はなかった。
 イタリア代表の練習は公開だと思っていたが、どうも招待制のようで、来る客はみんな受付で記帳してネックピースをもらっている。当然私はそんなものはないので入ることはできない。彼らの後についてさりげなく入ろうかとも思ったが、今の私はパスポートを持っていないのでバレるととんでもないことになりかねない。ダメもとでちょっと交渉してみる。受付のお兄さんは最初はダメと言っていた。ここからが自分の交渉術にかけることになる。私:「兄さんはどこのファン?」彼」「ローマ」(私:ラッキー!!)私:「ナカータを知っているか?私は彼のファンだ(嘘)。彼を見るためにローマに何度も行った(嘘)。セリエAは大好きだ(嘘)。イタリア代表を見るためにミュンヘンからデュイスブルグに来たんだ(嘘)。お願いだから中に入れてよ。(上目遣い)
 兄さんはどうしようかなと一瞬悩み、こっそりパスをくれた。「俺が知人として招待したことにするよ」(ラッキー)。私は彼に例を言って中に入った。
 エントランスはFIGC(イタリアサッカー協会)のワッペンをつけた人が何人もいて、VIPらしき人たちと話をしている。私は彼らの横を素通りして2階にあがり、スポンサールームの横からスタンドに出た。目の前にはブッフォンがPK練習をしている。遠くにはリッピも見えた。練習はクールダウンに入っていた。
 しばらく練習を眺めている。イタリア好きならたまらない光景だろうが、あいにく私は彼らには興味がない。しばらく眺めて外に出た。ここMSVアレーナを含むウェダウ地区はJリーグの発祥の地と行って良い。東京オリンピックの日本代表監督だったデットマール・クラマーは現在MSVデュイスブルクの取締役をしている。そのクラマーは40年前に日本代表チームをこのウェダウ地区につれてトレーニングをした。そのトレーニンググラウンドであるウェダウシュポルトシューレには芝生が何面もあり、当時の川淵三郎は日本にもこういう環境を作りたいと思ったそうだ。それが現在のJリーグ100年構想につながったと川淵自身がそう述べている。そのシュポルトシューレはMSVアレーナの隣にある。ちょっと行ってみようと思う。
 シュポルトシューレを英語で言えばスポーツスクールとなる。もう午後6時を回っているので生徒はいないが、門扉は開いている。私は守衛のおじさんにちょっと見学させてくれないかと許可を取り、中に入った。
 その中は何面もの芝のグラウンドがあった。おそらく川淵が驚嘆したというグラウンドは現在でも何も変わっていないと思う。現在、日本のサッカー部にいる高校生を適当に選んでここに連れてくれば、あまりの環境の違いに落胆するのではないだろうか。ドイツでは普遍的な光景だが、日本との環境差は絶望的なものがあるだけに悔しさが募る。スタジアムひとつとってもそうだ。
シュポルトシューレのグラウンド。フルピッチのコートが横に5面並んでいる。私の背後にも4面、さらに通路を挟んだ反対側にも3面ある。(衛星写真)

 いい加減疲れてきた。シュポルトシューレは併設してバーがある。ここで一休みする。テレビではワールドカップを放送している。ここで一杯飲みながら試合を見て、ホテルに戻った。明日はライン川を観光する予定である。
続く
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