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6月22日 決戦の日

その3:日本-ブラジル戦

わかの観戦日記
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6月21日 まずは軽く鉄道から
その1:ミュングステナー橋
その2:ウッパータールの
モノレール
6月22日 決戦の日
その1:フットボール道場
その2:チケットがない!!
その3:日本-ブラジル戦
6月23日 デュッセルドルフ総領事館
デュッセルドルフ総領事館
6月24日 最後は軽く鉄道で締める
その1:ロマンチック・ライン
その2:カールスルーエのスタジアム
最終回:マインツの歓喜
 私にあてがわれた席はバックスタンドホーム側コーナー寄り、ちょうどクルパの境目だった。このクルパを中心に日本サポーターが大挙として居座る。私もその一人に加わる。スタジアムは超満員!のはずであるが、実際は前後左右に空席が見える。私のチケットはトヨタカップの半券プレゼントで入手したので周りの席もおそらくそうなのであろう。チケットが当たったのはいいが、ドイツまでは行けない、そんな人が多かったのかもしれない。
 スタメンで驚いたのはブラジルが本気モードで選手を出してきたことだった。ロナウドもロナウジーニョもロビーニョもカカもみんな出る。そうこなくっちゃ。私はもう腹をくくっているので敵がベストメンバーを出してきてくれたことはありがたかった。コテンパンにやっつけるのもやっつけられるのも、このメンバーならば納得がいく。そう思わせるスタメンだった。
 日本のフォワードが巻と玉田でこちらに一抹の不安があったが、これは杞憂に終わった。少なくとも運動量の豊富さではこの選手で正解だった。午後9時試合開始ということもあるのだろうが、少なくとも効果的には動けていたと思う。ワールドカップが終わった後、いろいろなメディアで日本が一番動けていなかったとかかれていたけれど、最悪の環境のなかで最善の状況は作り出していた。そしてひとつひとつのプレーに私たちは全力で声を出していた。玉田のゴールはそんな中で生まれた。それは希望を叶える最後の光にも見えた。前後左右のサポ同士で抱き合って喜んだ。お互い知らない他人同士ではあったがそのときの気持ちは全員同じだったと思う。その夢は前半終了直前、最後のワンプレーまで見せ続けてくれた。
 前半ロスタイム、ロビーニョとロナウドが二人であがってきて、日本のディフェンスがロナウド一人にかかりっきりになり、がらがらになった右サイドを突かれて失点した。2点差をつけて勝たなければならない日本のワールドカップはこの瞬間、終了した。
 後半はもはやゲームになっていなかった。一方的に攻められ、なすすべもなかった。動けていたのは中田だけだった。中田がロナウジーニョを止めたときは動かされるものがあった。しかしそれだけでどうにかなるものでもなかった。後半はブラジルのトレーニング代わりに時間を消化しただけと行っても良かった。1-4で試合は終了し、私のワールドカップは終わった。
 失意ともあきらめともつかない形でスタジアムを後にする。今日はいろいろな事が一度に起きたので心の持ちようがなかったというのが本当のところだと思う。今日の試合については現実に沿った結果だと思う。希望を持つのはいいことであるが、それはたとえて言うなれば栃木SCが浦和レッズに2点差をつけて勝てるか?というのと同じくらいのものだと思う。日本が勝つ可能性はもちろんあるが、結果から見れば、それは現実的ではない。
 スタジアムからトラムまでは大渋滞を起こしていた。駅までの道やトラムの乗り方については日本語の録音テープがひっきりなしに流れているので迷うことはなかったが、負けた身にとってはしんどいものだった。ブラジルサポーターはみんな踊りながら喜んでいる。その差が悔しかった。サッカーとはそういうものであるが。これは受け入れるしかない。出場した32チーム中、31チームのサポーターはみな、この負けの現実を受け入れなければならない。
 試合は23時に終わったが、中央駅に着いたのは午前0時を回っていた。中央駅にも人があふれ帰りの電車を待っている。ドルトムント~フランクフルト間はドイツ随一の幹線で列車本数も多いのだがこれだけ人が多いと乗り込める見込みが立たなかった。30分ほど待っただろうか。フランクフルト行きのICEがやってきた。ホームにいた全員が一斉に乗り込む。この国に整列乗車という概念はない。乗ったモノ勝ちなのだ。私も無理矢理乗り込む。私が乗った車両は食堂車で、ほとんど難民輸送船状態だったが乗れれば問題ないだろう。これに乗ってケルン乗り換えで2時間30分。我慢である。
 列車はなかなか動かなかった。駅のアナウンスは定員オーバーのため発車できないと英語とドイツ語でしゃべっている。みんな疲れている。こういう時はいかに楽しく過ごすかが鍵になる。みんなで自前の食料を分けたりしゃべったりしている。ここは食堂車なので誰かがワゴンの端に飲み物を買い出しに行く。大量に買い込んでみんなでわける。こういう状況に日本人もブラジル人もない。列車はゆっくりと走り出した。ドイツ版新幹線とは思えない遅さであったが進めば問題ない。列車は途中の駅に止まりながら客を降ろし、午前2時30分、ケルンに着いた。もう始発の時間である。30分ほどの待ち合わせでボン行きの急行に乗り換え、午前3時30分、ボン中央駅に着いた。もう空は白みはじめていた。幸い、ホテルの支配人はもう起きており、無事に中に入ることができた。シャワーを浴びてベッドに入る。長い一日が終わった。
続く
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