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6月24日 最後は軽く鉄道で締める

その2:カールスルーエのスタジアム

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6月21日 まずは軽く鉄道から
その1:ミュングステナー橋
その2:ウッパータールの
モノレール
6月22日 決戦の日
その1:フットボール道場
その2:チケットがない!!
その3:日本-ブラジル戦
6月23日 デュッセルドルフ総領事館
デュッセルドルフ総領事館
6月24日 最後は軽く鉄道で締める
その1:ロマンチック・ライン
その2:カールスルーエのスタジアム
最終回:マインツの歓喜
 カールスルーエという土地は、中世にカール・ヴィルヘルムという伯爵が都市設計をしたことからこの名前が付いている。設計は城を中心に道路を環状に配置していて、合理的かつ美しい町並みになっている。(googleMAP) 日本で言えば小京都とかそういう位置づけだろう。ここも立派な観光地だがあまり日本人には知られていない。少し惜しい。
 カールスルーエのスタジアムに行くには中央駅から城を通って反対側にある。距離にして約3キロ程度で歩けなくはないが、この暑さではさすがにしんどい。私は町の中心部、マルクトプラッツまではトラムで行き、そこから城を通ってスタジアムに行くことにした。この区間のトラムは頻発しているので問題はない。目の前の列車に乗り込む。3駅ほど乗るとすぐに着いた。
 マルクトプラッツを日本語で言えば「市場」ということになるが、ドイツでは人が集まるところを意味する。広場では多国籍料理フェアをやっていて、民族衣装を着たお姉さんが屋台を出して料理を作っている。ちょうどお昼時でおなかがすいた。屋台ではタジキスタン料理とかウクライナ料理とか、見たこともないものばかりで、こういうものは是非挑戦したかったのだが、私は無難にスペイン料理屋でパエリアを食べた。暑さと疲労で胃が参っているのに加え、そろそろ米が食いたくなってきた。一緒にビールも頼む。晴天の屋外でパエリアを食べながら飲むビールは旨い。ビールとはこんなに旨い者だったのかとも思う。
 
 食事を終え、ミネラルウォーターを何本も買い込んで歩き始める。マルクトプラッツの目の前が城である。城と言っても日本の城のように天守閣があるわけではない。どちらかというと王宮に近い。城に続く道は白亜の砂利、城事態も白亜の壁で視界全体が光り輝いていて眩しく美しい。中世そのものの景色が目の前にあることに感動する。
 城の後ろは森になっていた。典型的なドイツの風景で、森の中に小径がいっぱいある。そういう中を歩くだけで立派なスポーツになる。森の中を歩くとサッカーグラウンドが見える。これは大学や民間のグラウンドで、プロチームのグラウンドはその先である。そろそろ近くに見えるはずだが森の中を歩き続けているので、あとどのくらい歩けばいいのかわからない。いいかげん疲労で足が止まりかけた頃、遠くの方にスタジアムの照明塔が見えた。カールスルーエSCのホームスタジアム、ウィルドパルクシュタディオンである。
 カールスルーエSCはチームとしてはそれほど強くはない。特筆すべきはその才能発掘・育成の手腕で、多くの代表プレーヤーを排出している。オリバー・カーン、メーメット・ショル、イエンス・ノボトニーは皆カールスルーエSCでキャリアを始めている。どういう所なのか、ちょっと少し見ておきたかった。
 スタジアム自体は普通の陸上競技場であるが、その周囲は凄かった。見渡す限りのサッカーコートで、何面あるのか見当も付かない。敷地には世代の異なる複数のブンデスリーガのユースチームがそれぞれのコートで試合をしている。グラウンドだけ見れば昨日のウェダウシュポルトシューレをしのいでいる。何度も何度も書くが、日本ではこの環境はとても望めない。スタジアムは永井雄一郎がここに来たのも十分に理解できる。スタジアムは旧態依然としたもので、最新式のワールドカップスタジアムに比べると望むべくもない。しかし周囲の環境だけみれば、それらのクラブにも全く遜色はない。私がカールスルーエに住んでいれば、充分にこのチームに誇りを持ち、シーズンチケットを買ってこの古いスタジアムで観戦するだろう。それがたとえ何部であったとしても。
ウィルドパルクシュタディオン
 スタジアムはバーを併設していたのでそこに入って少し休む。少し脱水症状を起こしかけている。暑さに加え、さっきビールを飲んだからかもしれない。ビールには利尿作用がある。この暑さの中で歩き続けたら参るのも当然だろう。水とアイスコーヒーを飲みながらワールドカップの試合を見ていた。バーのおじさんは参っている私を見て、扇風機の当たるところに連れて行ってくれた。横浜FCのユニフォームを着ている私を見ていろいろと話しかけてくれる。日本人に好意的に接してくれるのはうれしい。ピエール・リトバルスキが横浜FCの監督をしていたことをこの主人は知っていた。さらにブッフバルトが浦和にいるだろうと言う。ギド・ブッフバルトは97年まで浦和でプレーをした後、カールスルーエに移籍し、そこで引退している。そういう経緯があるからだろう。私はナガイというプレーヤーを知っているか?と聞いたが、残念ながらその答えは「ナイン」だった。
 さて、問題は帰りである。どう見てもタクシーを呼んだ方が良さそうだが、体調も復活してきたのでがんばって歩く。炎天下の中を歩き続けるのはかなり危険であったが、なんとかトラムの駅にたどり着いた。そのまま中央駅に戻る。今日の目的は終わった。あとは帰るだけである。中央駅で時刻表を見ると、ハンブルグ行きのICがすぐに出る。急いで切符を買って乗り込んだ。列車はすぐに出発した。
続く
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