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第6節 バンコク・ユニバーシティ 対 川崎フロンターレ


(バンコク:ロイヤルアーミースタジアム)

3日目:列車でアユタヤへ

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第1節 アレマ・マラン-川崎フロンターレ

第2節 川崎フロンターレ-バンコク・ユニバーシティ

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第4節 川崎フロンターレ-全南ドラゴンズ

第5節 川崎フロンターレ-アレマ・マラン

第6節 バンコク・ユニバーシティ-川崎フロンターレ
初日:カオサン通りの夜
使えないタクシー
バンコクユニバーシティー対川崎フロンターレ
列車でアユタヤへ
さようならバンコク

準々決勝 セパハン-川崎フロンターレ

準々決勝 川崎フロンターレ-セパハン

ACL総括


 今日は帰国の日であるが、帰りの飛行機は22時30分なので時間はある。本当はスタジアム巡りをする予定だった。昨日試合をしたのはロイヤルアーミースタジアムであるが、バンコクには他にロイヤルネイビースタジアムとロイヤルエアフォーススタジアムというのがあって、これはセットで撮影しておきたかった。スタジアムの場所もgoogleの衛星地図で事前に確認してあって、タクシーの運転手に伝えればよいだけのはずだった。しかしバンコクのタクシーの運転手の道路の知らなさは絶望的と言って良く、住所と名前だけで連れて行ってもらえる確信は全くなかった。残念ながらあきらめざるを得ない。


 スタジアム巡りはあきらめて普通に観光をすることにした。バンコク近郊に「アユタヤ」という遺跡があり、世界遺産になっている。私は遺跡も好きで、機会があれば行ってみたいと思っていた。アユタヤはバンコクから鉄道とバスがが出ていて時間はいずれも2時間程度。日帰り観光としてはよい距離である。


 朝9時。食事を取ってアユタヤ行きの出る国鉄ファランボーン駅までタクシーで行く。このタクシーが又くせ者で、メーターを起こさずに走るので怒鳴り合いの喧嘩になった。50バーツ札を投げつけて勝ってに降り、別のタクシーを探して乗る。いつか悪徳タクシーに合うだろうと予想はしていたがついに来た。大抵の日本人は運が悪かったと言い値で払うかもしれないが、私は納得のいかないことは絶対に引かないのでモメやすい。仕方ないね。


 ファランボーン駅は国際列車のターミナル駅なので英語が通じる。これはありがたい。アユタヤ行きは1時間後と2時間後に出る。1時間後は特急で400バーツ(1500円)。2時間後は急行で60バーツ(250円)。私は早く着きたいので特急を買った。特急列車に2時間も乗って1500円なら別にかまわないが、特急と急行の料金の格差に驚いてしまう。


 ファランボーン駅は長距離列車専用駅で、ホームが櫛形になっている。上野駅の地上ホームと同じで機関車に牽引された客車が並ぶと静閑である。ヨーロッパでもよくある風景だが、違っているのは停車している列車が日本の客車だったことだ。




 30代~40代の鉄道ファンには非常に懐かしい14系寝台車で思わずタイムスリップした気持ちになる。私は学生時代、この客車に乗って東北や北陸まで旅行に出かけていったのだ。車内は日本語表示のまま。行き先表示板も「黒磯」「広島」「シュプール」などそのまま残っている。この列車はタイ北部の「ノン・カーイ」まで行く。いいなあ。乗りたいなあ。サッカーを見に行くために海外に行くけれど、現地の駅で国際列車を見る度にその思いが強くなる。ケルンで見るミラノ行き、とかプラハ行きとか。今は格安航空券の時代で寝台列車を移動の手段にするのはどうしても非効率になってしまう。非効率であることが旅の楽しさなのだとも思う。


 私が乗るアユタヤ行き特急列車はディーゼル3両編成であった。JR四国の特急しおかぜのようなもので味気ない。空調の効いたリクライニングシートに座るとすぐに発車した。


 列車はタイの農村地帯を走る。全体的に湿地が多く、家は高床式になっている。長閑で平凡ではあるが、私は楽しかった。アユタヤを悪く言うわけではないが、世界的観光地よりも町中の普通の光景を見ている方が私は好きだ。鉄道から見る景色は人が生活している景色だから。よそ行きの景色を見てもその国を見たとは私は思わない。


 アユタヤまでは2時間であったが、途中昼食のサービスがあった。さすが急行の6倍の料金を取るだけのことがある。スタイルのいいお姉さんから弁当を受け取ってパクパク食べているうちに列車はアユタヤ駅に着いた。


 駅に降りると強烈な日差しが降り注ぐ。アスファルトに日が反射して景色が白い。渡し船に乗ってアユタヤ市街に出ると汗が噴き出てきた。 
 渡し船を下りるとトゥクトゥク(オート三輪タクシー)の運転手が私に殺到してくる。1日ガイドをしてやるとのこと。情報によると相場は貸し切り300バーツ(約1500円)で利用しても良かったのだが、私はのんびりと歩きたかったので固辞する。ただ、暑い中炎天下の道路を歩くのは非常にきつく、ペットボトルを何本飲んでも喉が渇いた。


 アユタヤという遺跡を一言で述べるのならば、13世紀にビルマによって滅ぼされた王朝跡ということになる。遺跡と言っても日本にあるような古墳や城跡とは違い、破壊と殺戮の史跡と言って良いだろう。不謹慎な言い方だが、最大の見所は徹底的に破壊された仏像で、その破壊行為の跡を観光客に訴えるように整備されている。

 
 遺跡は静かにたたずんでいた。平日というのもあるだろうが、見学者は少なかった。800年前に栄えたであろう仏塔や煉瓦塀がありのままの形でおいてあった。首のない仏像は歴史に興味が無い者でも残酷さが伝わった。日本で言えば原爆ドームに近い。アフガンにおけるタリバーンも同じ話だろう。木の根に埋め込まれた仏像を見ると息が詰まる。




 アユタヤは首都だっただけのことはあり、見所は広範囲に広まっている。しかし私は遺跡の芝生で寝転がって過ごした。何の音も聞こえない、遺跡と同じように時間だけが過ぎていった。夕方、少し涼しくなった頃を見計らってバスでバンコクに戻った。もうすぐ帰国である。
(続く)
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