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バールベック遺跡



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わかの観戦日記
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初日
中東へ

2日目
UAEの路線バス
ヨルダン入国

3日目
シリア入国
ダマスカスのスタジアム

4日目
レバノン入国
拘束される
AFCカップ

5日目
バールベック遺跡

6日目
ガンバはフェアだった
遙かなるバグダッド

7日目
シリアリーグ開幕戦
また拘束される

8日目
ヨルダンリーグ

9、10日目~最終日
さようなら中東
 5日目。通常の海外旅行の日程なら明日は帰国だが、今回はまだ中日にもなっていない。休暇が一杯取れたことを喜ぶべきだろうが、私の場合、国内でも海外でも出発して1週間を過ぎると帰りたくなる。無意識にしているであろう緊張感が体調に出てくる頃なのかもしれない。一人旅だからなあ。もう学生じゃないし。


 今日は観光をする。本当はレバノンのサイダやトリポリに行ってアジアカップ2000のスタジアムを見学しようと思ったのだが、昨日の拘束事件を受けて思いとどまった。準戦時下の国であるし、内戦の影響でテロも頻発している。それは気をつけるとしても、公共施設は軍隊が駐屯していることが多いので余計な尋問を受ける可能性が高い。私はすでに拘束された前科があるので今度捕まるとどうなるのか私にもわからない。だからおとなしく観光する。


 レバノンやシリアに観光するような場所があるのか?これは出発前にも帰国後にもいろいろな人から聞かれた。これには遺跡の宝庫であると答えられる。充分に行く価値がある。この辺の状況はよくわからない人が多いかもしれないので少し解説をしてみる。


 シリア・レバノンとも地中海に面している。地中海に面しているということは、ギリシアやローマと海上で結ばれていることを意味する。つまりギリシア文明やローマ文明の影響を直接受けているわけだ。さらにレバノンの南方にはエルサレムがある。キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の聖地がレバノンのすぐ南にあるということはそれぞれの宗教の影響も受ける。




 さらに東にはイスラム教の聖地であるメッカがあり、さらにその東にはペルシャがあってその東にはインド・中国もある。南に行けばエジプトもある。故にこの国は先史時代の遺跡、ローマ時代の遺跡、イスラム帝国の遺跡、十字軍の遺跡、果ては中東戦争から内戦の跡までまあらゆる遺跡が存在している。現在、ベイルートでは戦後の復興作業が急ピッチで進められているが、マンションの建設予定地には常にローマ帝国時代の浴場などが出てくるため、発掘作業に時間を取られてしまうのだそうだ。


 閑話休題。10月8日、ホテルを出るとタクシーでバスターミナルに向かった。バスターミナルに着くと今度はバールベック行きのセルビス(乗合タクシー)を探す。\・・・・までもなく向こうから運転手が押し寄せる。バールベック行きの運転手はすぐに見つかったが、残念ながら先客はいなかった。乗合タクシーなので4人集まらないと出発しない。運転手は一生懸命呼び込む。しかし平日の朝、観光地に行く客はなかなか見つからなかった。こういう場面を見ると、客引きというのは厳しい商売だなと思う。私は20分ほど車内で待っていたが、ついに我慢できなくなって運転手に4人分の運賃を払うからすぐに出発してくれと頼んだ。一人分なら1万SP(シリア・ポンド-約700円)だが、4人分なので4万SP(約2800円)も払うことになった。100キロの距離をタクシー貸し切りで3000円で行ければ安いのかもしれないが、微妙な気にはなる。


 4人分の運賃を支払うほどの気前のいい客を乗せたためか、運転手は至極上機嫌だった。途中、タバコ屋に立ち寄って自分と私の分の菓子とジュースを買い込む。楽しいドライブにしようという配慮が見て取れる。


 バールベックというのはローマ帝国の遺跡で、アテネの神殿のような遺構が残っている。こういうものは為政者が変わる度に破壊されていって最後は何も残らなくなるものだが、この遺跡はあまりにも巨大だったためか、おおよその建物跡は残っている。レバノン最大の観光地であり世界遺産にも指定されている。


 セルビスは山道を上る。気持ちの良い高原道路に出る。この高原がベカー高原で、中東戦争の舞台となったところである。現在は反イスラエルの過激派組織、ヒズボラの根拠地で、2年前のレバノン空爆では激しい攻撃を受けた。そういう土地を私を乗せたセルビスは走っていく。


 所々で道路は片側一車線になり、反対側が工事中となる。運転手は説明する。「戦争からの復旧工事だ」「ここに爆弾が落ちた。あそこに家の跡があるだろう、あの家は爆弾で吹っ飛んだんだ」「写真を撮るかい、いいよ、停めるよ」。2006年8月。ドイツ・ワールドカップが終わって2ヶ月後、ヒズボラはイスラエル兵二人を拉致・殺害した。この報復でイスラエル軍はベイルート国際空港を封鎖し、レバノン全土に爆弾を落とした。何人死んだのか-それは両国の報道が食い違っているので正確にはわからないが、少なくとも殺害したイスラエル兵以上の数のレバノン国民が死んだのは確かである。その殆どは国外に待避できなかった貧困者と老人・子供であることを知るといたたまれなくなる。




 峠を二つばかりこえると小さな集落に着いた。すぐ近くに遺跡群が見える。バールベック遺跡である。なかなか壮観だが田舎の観光地という感が強い。ここでタクシーと別れた。


 入場料を払い、中を見学する。2000年前の遺跡としては良く残っている方だと思う。私は遺跡というのは遺構を見て当時の様子を想像することが楽しいと思っているので日本の城にみられるような復元工事は好きではない。ここは崩れたものは崩れたままにしてあるのがよい。当時の様子が想像できる。普段はサッカーばかり見ているけれど、こういう所にいるとずっといてしまう。一つ一つをゆっくり見て回るのが楽しかった。






 昼食を取ったあと、私はセルビスを探した。今日はシリアに戻る。ダマスカスに戻るのではなくて、その北のホムスという町に出てそこで泊まる。ホムスはガンバ大阪がACLを戦った地である。メインルートから外れているが、ガイドブックによればバールベックとは直接国境を通して結ばれているらしい。実際は、ホムス行きを見つけるのはかなり苦労した。なんとかセルビス見つけたが途中乗り換えを要した。100キロの距離で8000SP(約6ドル)の運賃は安いと思うが、タクシーで直接行くよりも2倍の時間を要した。国境を越え、シリア領内に入ったあたりで日が落ちてきた。シリア砂漠に日が落ちる。その横をセルビスはホムスに向けて走る。夜8時、ホムス中心部のロータリーに着いた。


 幸いホテルは降りたロータリーの近くにたくさんあり、難なく見る蹴ることができた。ただ、レストランの類はみんな閉まっていた。ホムス市内をいろいろと歩くが見つからない。お腹がかなり減ってきている。ようやく1軒だけ、鳥料理専門店を見つけた。私は鶏肉を指さし、指を一本立てた。一人分のつもりだった。店員は1万SP(約700円)と言うので微妙に高いなと思っていたら、なんと鶏が1羽丸ごと出てきた。どう済んだよコレ。


 ホテルに戻って一生懸命食べる。皮がパリパリしているところは非常に美味しかったがとても食べきれない。脚の部分だけ食べるのが精一杯だった。鶏さんごめんなさい。心の中で一生懸命謝って、そこで食事を終えた。妙に疲れが出てきた。シャワーを浴びてベッドに入る。長い一日が終わった。

(翌日に続く→) 

 
 
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