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準々決勝第一節 セパハン 対 川崎フロンターレ


(イスファハン:フーラッド・シャースタジアム)

4日目:イラン・プレミアリーグ

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第1節 アレマ・マラン-川崎フロンターレ

第2節 川崎フロンターレ-バンコク・ユニバーシティ

第3節 全南ドラゴンズ-川崎フロンターレ

第4節 川崎フロンターレ-全南ドラゴンズ

第5節 川崎フロンターレ-アレマ・マラン

第6節 バンコク・ユニバーシティ-川崎フロンターレ

準々決勝 セパハン-川崎フロンターレ
はじめに:イランという国
初日:出発まで
2日目:イスファハンへ
3日目:試合開始前までのこと(前編)
3日目:試合開始前までのこと(後編)
3日目:セパハン-川崎フロンターレ
4日目:イラン・プレミアリーグ
5日目:ペルセポリス
6日目、最後の夜
7日目:さようならイラン

準々決勝 川崎フロンターレ-セパハン

ACL総括
(→前回からの続き)

 目が覚めると午前9時だった。だんだん疲労がたまってくるのが自覚できる。今日はシーラーズに移動する。シーラーズはイスファハンの南西500キロの所にある。ペルセポリスという世界屈指の遺跡があるところで、イランツアーでは必ず立ち寄るところである。もっとも私の目的は遺跡よりもサッカーである。今日、シーラーズでイラン・プレミアリーグ第6節、バルグ対エステグラルの試合が行われる。そのカードがどういうチームだでそういうスタジアムなのか皆目検討がつかないけれど、行ってみようと思う。


 昨日、旅行会社によったのだがシーラーズまでの飛行機は満席だった。シーラーズは鉄道は通っていないのでバスで移動することになる。タクシーでバスターミナルに行く。イスファハンもシーラーズも大観光地なのでバスは頻発している。バスのチケットはあっさり買えた。シーラーズまで1万8千リヤル(200円)。相変わらず安い。


 問題がひとつ発生した。バスは11時発。今日の試合は20時キックオフで、試合開始に間に合うかかなり怪しい。日本で言うと大阪駅前を午前11時発の高速バスに乗り、国立競技場で20時キックオフの試合に間に合うか、と言えばわかってもらえるだろうか。しかし私は楽観的に考えていた。砂漠をつっきる訳だから、500キロを8時間で走るのは難しくないだろう、6時過ぎには着くのではないかと考えていた。


 その考えは甘かった。


イランのいい加減さを舐めてはいけない。バスはボロく、途中で故障した。また軍人が路線バス感覚であちこちの停留所で乗り降りするものだからなかなか進まない。昼食休憩も1時間あった。私は時計と道路標識に書かれたシーラーズまでの距離を見ながら焦り始めていた。



 午後7時20分、シーラーズバスターミナルに到着。ダッシュでタクシーに乗ってスタジアムに急いだ。スタジアム前は異様な人だかりがしていた。殺気だった若者達が私を見る。警官と小競り合いをしているものもいる。警官の数も多い。パトカーのサイレンがけたたましくなる。異様な光景だった。


私はこの試合、どうせ3千人程度の観衆でまったりと見ることになるんだろうなあと思っていた。ヨーロッパの鄙びた2部リーグのような試合を想像していた。それは甘かった。この試合、アウェイのエステグラルはイランで1,2を争う人気チームでイラン全土にファンがいる。イングランドのマンチェスター・ユナイテッド、イタリアのユベントスに相当する。逆に言うとアンチも多い。だから試合が殺気立つのは当然だった。ちなみに対戦相手は


 
 殺気立っているのはわかったが私はチケットを買わなければならない。適当な人間を捕まえてチケット売り場はどこだ?と聞いてみるが、みんな頭に血が上っているので相手にしてくれない。人の良さそうな親子連れを見つけて聞いてみる。ありがたいことに代わりに買ってきてくれるという。良かった良かった。


 チケット売り場はスタジアム外壁を小さくくりぬいた小窓がそうだった。その小窓に大の男が我先にと腕をつっこんでいる。整列という言葉は存在していない。小窓に腕を入れた奴の勝ちという壮絶な光景だった。あの親子連れは大丈夫かなと心配になってきたが、程なく現れて私にチケットを渡してくれた。チケットと言っても5センチ四方の粗末なに対戦相手と今日の日付のスタンプが押されただけの、とてもチケットと呼べないようなシロモノであるが、とりあえずまずは手に入れた。良かった。良かった。


 お父さんにチケットの代金を聞くと1万リヤル(130円)とのこと。私は1万リヤルを渡した後、さらに1万リヤルを渡そうとしたが、彼は頑なに受け取らなかった。その代わり一緒に観戦することになった。私も異存はなかったが、私は荷物を全部持ってきている。入場時の身体検査で当然時間がかかる。私は別室に連れて行かれていった。セパハン戦と同じである。ポリスの嫌味全開な対応をされてやっとスタジアムに入場したときは試合開始時刻間近だった。


 スタジアムは典型的な陸上競技場であったが、座席はなく、すべて石段だった。その石段に人がぎっしりと座っている。正真正銘、掛け値無しの満席で座る場所は全くなかった。通路にも人があふれている。消防法など存在しない世界だというのがわかる。通路がないので無理矢理人を押しのけて階段を上る。殺気だった空気が私のせいでさらに殺気立つ。ようやくコーナーサイドの石段に人一人座れるスペースを見つけた。周りの人に断って座った。そこはホームのウルトラ達の応援スペースだった。
 彼らは騒ぐことに意義を見いだすような集団である。背中越しにジャーポン、ジャーポンと声が突き刺さる。私は殆ど鍋に入ったカモに近かった。


 試合が始まる。根本的に試合が見えない。座った場所はコーナー対角で、本来は特等席に近いのだが、目の前は大きなフェンスがかかっていて、さらにピッチ前には野球のバックネットがかかっている。試合自体はボールが今どこにあるのか、程度しかわからない。しかも既に超満員にもかかわらず、あとから観客が続々と入場し、フェンス前に陣取っている。うーーーーん。


 この試合、開始早々に地元のバルグが先制した。どういうボール運びで点が取れたのか全くわからないが、反対側のゴールネットにボールが入ったのはわかった。背中のウルトラ達が騒ぎ出す。花火が飛ぶ。爆竹が鳴る。私は別に驚きはしないが、Jリーグの試合しか見たことのない人がこの場にいたら恐怖でおののくかもしれない。

  
 
 背中のウルトラ達が私にちょっかいを出し始める。胸ポケットのメモ帳をかすめ取ったりする。こういちょっかいに対して周りの大人達がいい加減にしろと怒り出す。そして私は彼らの厚意によってスタンド上段の、彼らとは離れた席に案内された。助かった。


 ハーフタイムに入る。トイレに行きたいが、そもそも通路がないのでどうにもならない。我慢しながら座り続ける。女の子の連れがいたらどうなっていたか。法律で女性の入場を禁止している理由がなんとなくわかるような記がする。ここまで我慢を強いる観戦というのは記憶がない。親切なイラン人達のおかげでいられるようなものだ。それはそれでありがたかったが。


 後半が始まる。今度はよく見える。試合は一進一退が続く。チームの格としてはアウェイのエステグラルの方が断然上だが試合内容は互角だ。いい試合だと思う。このまま地元のバルグが逃げ切るかと思ったのだが試合終了5分前にエステグラルが追いついた。そして引き分けで試合終了。


 試合が終わったらみんな一斉に引き上げる。5分もするとスタジアムはガラガラになった。残るは私一人である。そして照明が落ちた。早すぎだぞオイ。


 仕方がないのでスタジアムを出る。正面は相変わらず殺気立っている。私は乗り合いタクシーを見つけて乗り込んだ。ホテルまで5千リヤル(約60円)。乗り合いなので人数がそろわなければ発車しない。私は4人分、2万リヤル(240円)払い発車させた。こういうやり方はあまり良くないが、疲れているので仕方がなかった。タクシーは20分ほど走ると目的のホテルについた。予約はしていなかったが幸いベッドは空いていた。


 いろいろあったが私はまだ夕食を取っていない。もう11時を回っているが、私は市街地に行った。食堂はあらかた閉まっているが、ハンバーガーショップが空いていた。チーズバーガーを頼むとこれが座布団のような巨大なバーガーに、バケツのような巨大なカップのコーラが出てきた。かまわないのでかぶりつく。一生懸命食べている内に夜が更けていった。明日はシーラーズの観光である。



(続く)

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